中国ドラマが止まらない

中国ドラマにハマった中年の独り言です。

嫪毐を探せ! 実は魏の宰相だった⁉️

NHK始皇帝の母のドラマが放映されているんですね。

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『エイラク』の俳優さんじゃないですか❣️

始皇帝の母ということは、あの趙姫のドラマってことですよね。

嫪毐さんも登場しますよね?

 

結論として、私は嫪毐は魏の宰相だった長信候だと考えています。

なぜそう考えるに至ったかを書いていきたいと思います。

 

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『キングダム』の嫪毐さん

 

  1. 幼帝即位直後の太后に、男とイチャコラする余裕はない

嫪毐(ろうあい)は始皇帝の母=趙姫と私通して子どもももうけ、最後は反乱を起こし殺された巨根の男性ということになっています。(『史記 呂不韋列伝』)

司馬遷さんもさ、趙姫は淫乱だの嫪毐は巨根だの、エロい男性雑誌の見出しじゃないんだから😅

ご自身も宮刑(去勢による処罰。子どもの魏冉がやられそうになったやつ)とか過酷な体験をされてるから・・・・・その辺も関係しているのかな?

 

エンタメはエンタメでいいと思います。

ただ、実際は?と考えると、嫪毐が趙姫の単なるセックスパートナーだった、なんてことはあり得ません。

そこはあえて断言させてもらいます。

始皇帝が即位したのは、趙姫が始皇帝と共に趙から隣国の秦にやって来て、まだ数年しか経ってない頃です。

后として後宮での生活に慣れるべく奮闘していたことでしょう。

急に夫が亡くなって、わずか13歳の我が子が王に即位するなど想像もしていなかったと思います。

中国では幼帝が即位した場合、その母が息子に代わって国を治めることになっていますから、幼い我が子の即位はつまり自分自身が王位に就くのと同義です。

現代で考えたって、それまで普通に母として過ごしていた女性が、ある日突然、大会社の会長に就任して会社経営の舵をとれと言われたらどうすると思います?

不安、恐怖、困惑・・・趙姫の心境は察するに余りありすぎです。

それでも、やらねばなりません。

そんな時、何を求めますか?

間違いなく、趙姫に必要だったのは、政治に長けたパートナーです。

(ユエさんは武に長けたパートナー=義渠王でしたね)

そして、見知らぬ異国にありながら趙姫がパートナーに選んだのは、顔見知りの呂不韋ではなく嫪毐だったわけです。

 

こんな極限の状態で、巨根の男と楽しくセックスライフ♪とか、あるわけないじゃないですか!!

 

  2.    長信候は秦国外に領地がある

史記 始皇本紀』にも嫪毐についての記述があります。

(こちらには淫乱だの巨根だのはありません)

「(政が王位に就いて)8年、秦王の弟長安君成蟜が謀反の末殺され、黄河が氾濫し、嫪毐が封ぜられて長信候となった。山陽の地を与え…事大小となくみな毐によって決せられ…太原郡を毐の封地とした。」

注目したいのは長信候と山陽の地。

趙姫については、NHK

中国王朝 よみがえる伝説 悪女たちの真実

のシリーズでも取り上げられていました。

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こちらはその中の画像です。

番組でも言ってましたが、嫪毐に与えられたとされる二つの土地はどちらも秦の国外にあります。

太原は趙、山陽は魏です。

山陽は魏のかなり奥地にあるのです。

 

 

 3.   嫪毐は長信候

 次に、もう1つの注目ポイントである、嫪毐が称されることになった長信候について。

(ちなみに呂不韋は文信候)

この文字を「嫪」「毐」も合わせて、他の文献であたってみました。

あたってみたのは、やはり古代中国について書かれた『戦国策』。

私が見つけられたのは、2つ

・『魏 三 三百二十六』に長信候

・『魏 四 三百五十八』に嫪氏

(正確には3つで『楚 二百十二』にも春申君が残念な最後を迎えた同じ年に嫪毐の乱があったという記載があります)

 

「魏三 326」は、秦との戦いに負けた魏の王が、秦に行くと言うのを臣下が必死に止める話です。

楚の懐王が秦に行って、そのまま幽閉されて死んじゃいましたからね〜

そんな何されるか分からない他国に、自国の王を行かせるわけには行きません。

 

あれこれ説得して何とか秦行きを思いとどまりますが、「でも秦の応候(范雎)に行くって言っちゃったから」と心配する魏王。

「大丈夫。うちには長信候という応候(范雎)と仲良しさんがいるじゃないですか。彼から応候(范雎)に“魏王は行けないって”と取り計らってもらいましょう」ということで、魏王は秦に行きませんでした。(めでたし、めでたし)

 

魏には長信候という相がいて、長信候は秦の宰相である范雎=応候と親しい、ということが分かります。

私はこの長信候が嫪毐だと思うのです。

 

「魏四 358」はかなり直接的です。

秦の国内は呂不韋につくか嫪毐につくか騒然としています。

魏は嫪毐につきましょう!という話。

 

こちらはそのままですね。

秦は呂不韋と嫪毐の二大巨頭が政権を争っていて、秦国内だけでなく他国もどちらに与するか迷っていた様子が窺えます。

嫪毐が魏の宰相だった長信候なら、魏としては選択の余地はなく嫪毐一択でしょう!

 

嫪毐=魏の長信候なら、政治に長けていたはず。

政治経験は呂不韋より長いのではないしょうか。

 

前述した通り、嫪毐の封地の1つが魏にありますが、秦が封じたのではなくて、もともと魏の宰相時代に山陽に封じられていたのかもしれません。

史記 始皇本紀』に、事の大小に関わらず嫪毐が決めていた、とあって、呂不韋との政権争いは嫪毐が優勢で、だからこそ『戦国策 魏四 358』で魏は嫪毐につこうとしていたと見ることもできます。

 

こうして『戦国策』の記述から当時の状況を鑑みるに、趙姫が政治のパートナーに選んだのが、呂不韋ではなく嫪毐だったのは十分に頷けると思うのは私だけでしょうか。

 

 

 『戦国策』はこちらの全釈漢文大系シリーズ23・24・25を参照しました。

とても読みやすく、分かりやすかったです。