呉と越
「孫氏の兵法」
孫氏が呉で完成 → 越王の勾践が呉を滅ぼし越国へ → 楚が越を滅ぼし楚へ
この辺りは史実なのかな?
呉と越は春秋時代にキラッと現れて、サラっと消えてしまった国。
少なくとも、私はそう思っています。
ただ「呉越同舟」とか「臥薪嘗胆」とか今でも普通に使われる言葉の語源になっていて、存在感はとても大きいように感じます。
中国史で必ず挙げられる美女のひとり西施もこの両国の争いで、渦中に投じられた女性でしたっけ。
呉王夫差と越王勾践。
勾践が呉を滅ぼし、その越も楚に飲み込まれて・・・・・
現代に生きる私たちにとっては遠い国ですが、戦国時代の楚にとっては身近で、割と最近まで近くにあった国なんですね。
今はロシアと呼ばれているけれど、あの国のことをソビエトって言ってたなぁっ感じでしょうか?