『独孤伽羅』『後宮の涙』 陸貞さん❣️
『後宮の涙』はズバリ陸貞さんのドラマだが、まさか『独孤伽羅』でもそのお姿を拝見できようとは‼️
『独孤伽羅』の陸貞さんも美しい💖
ただ、登場した時は、なぜここで陸貞さん?と疑問に思った。
なるほど‼️な演出だったわけだが。
隋を建国後、楊堅とともに伽羅さんは二聖と称されるが、楊堅は基本的に軍人さんだから、伽羅さんが行政を担ったのでしょう。
そこでひとつの疑問が生じる。
幼くして楊堅と結婚し、北周を代表するお嬢様でもあったはずの伽羅さんに、何だってそんな政治的手腕があったのか?と。
九品中正をやめて科挙による役人選抜、均田制に租庸調などなど・・・その後の中国の基礎となる諸制度をバンバン実行している👏
いくら伽羅さんが賢くて読書好きだったとしても、ここまでの政策を短時間に立案・実行できるとは考え難い。
もちろん、戦場で多くの時間を過ごした楊堅には、もっと難しい。
建国後に思いついたというより、相応の実務経験のある優秀な誰かが、それなりの時間をかけて構想を練ったと考える方がずっと自然だし、実際そうなのだと思う。
その「相応の実務経験のある優秀な誰か」としてドラマの中で採用されたのが、
北斉の女宰相陸貞‼️だった、と。
ですよね〜
『後宮の涙』を視聴した人なら、きっと多くが納得したはず。
陸貞さんは伽羅さん宅にけっこう長く滞在して、いろんなことを伝授していく。
『独孤伽羅』44話
租税の免除・・・租庸調⁉️
官吏の昇進・・・科挙の構想⁉️
こんな描写で、その後、伽羅さんが二聖となるのはごく自然な流れになった。
ネットで見た史実では、陸貞さんのモデルとなった陸令萱はなかなかの悪女だった。
中国では再評価が進んでいるのかな。
もっとも、 後世の歴史家(主に男性)が政治の表舞台に登場する女性を悪女と評価する場合、その女性は有能なんだけどね。
もちろん、ドラマで描かれたように、北斉の陸宰相が国を売ったとか、統治のノウハウを伽羅さんに伝授したとは思わない。
ただ、隋の皇帝となった楊堅が次々に打ち出した政策は、三国時代以降、国が千々に乱れ不安が続く情勢の中で、平和を願い、人々の安寧を祈った多くの識者たちの知恵の結晶であったと思う。
均田制や租庸調は北魏が発祥らしいし、科挙はもしかしたら北斉が始めた制度だったのだろうか?
隋の諸制度は、国を越え、時間を越えた知恵の結晶だったと言える。
そう言うことの象徴として、二聖独孤皇后のブレーンに、あえて敵国の宰相を抜擢したのかな、と勝手に想像してしまった。
単に『後宮の涙』がヒットしてたからってだけかもだけど(笑)