琅琊榜1のモデルは、前漢の武帝?
琅琊榜<弐>をチラッと観ました。
庭生が素敵なおじちゃんになってた❣️
それでですよ。
巫蠱の術が出てまして。
今の感覚だと、人形に針をぶっ刺して呪う?と思ってしまうわけですが、昔は有効とされてたんですかね。
それはさておき、巫蠱の術って言ったら、あの方じゃないですか!
このドラマは衛皇后のどこまでの話なんですかね?
器の小さいわたしは、殺しておいて何が「賢后」だ、ふざけるなっ💢と思ってしまいますが、むしろ後悔の念が強いからこその賢后なのでしょうか。
その昔、衛皇后の悲劇を知ったときは、まったく考えなかったのですが、
武帝自身が間違いを認めたって、今考えるとすごい事ですね。
琅琊榜1を観た視聴者としては、特にそう思います。
衛皇后の悲劇は、簡単に言うと、歳を取って老害となった色ボケ爺の武帝は、自身が病気になったのは巫蠱の術によるとの讒言を信じて、無実の重臣を処刑したのみならず、後継者だった息子とその母の衛皇后も自殺させた、というもの。
当時は、ひどいな武帝、なんて奴だ💢以上の感想はありませんでした
これって後で武帝自身が間違いを認めたんですよね。
どうやって認めさせたのだろう?
すごいな、大変だったろうな。
中国人の人たちは、頭のどこかでこの前漢 後期の大混乱を思いつつ、琅琊榜を観ているたりするのかな?
そう考えると、高湛の最後のセリフ
この皇宮で、風がやんだことはありません。
が、なんともまた感慨深いじゃありませんか。