中国ドラマが止まらない

中国ドラマにハマった中年の独り言です。

屈原

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屈原は詩人で文化人だと思っていたので、『ミーユエ』では政治に大きく関わっていて驚きました。

第一話からの登場でしたが、最初は同じ名前の別人かと思ったくらいで(笑)

勝手に、もっと大柄…というか太っていて、話し方もゆっくり話す人だと想像していました。

 

屈原というとチマキの由来になった人ですよね。

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私の住む地域で、普通に売られているチマキは、上の白いウイロウみたいなお菓子です。

お米を包んで蒸した食事として食べるチマキが、日本ではいつの間にかお菓子になったのでしょうか。

それとも、北部九州に特有なのでしょうか。

 

5月5日にチマキを食べる由来は諸説あるでしょうが、屈原の命日が有力だとか。

川に身を投げた屈原の遺体が魚に食べられないように、彼を慕う人々がお米を竹の葉に包んで川に投げ入れたのが始まりだと聞きました。

川で人が亡くなったと聞いて、その遺体が魚に…とまで想像したことがなかったので、中国の人は想像力の範囲が広いな〜と感心しました。

 

・・・・・今、少しネットで調べてみましたが、遺体が魚に食べられないように、とは書いてないですね⁉️

チマキは屈原の命日のお供物で、龍に食べられないように云々。

聞き間違いだったのかな?

でも、その話を聞いてへ〜と思ったし、今でも中華料理店でチマキを食べるのを躊躇するのは事実だから、何十年か前には龍じゃなかったんです、多分。

 

『ミーユエ』最終話で屈原が亡くなった事が取り上げられていました。

秦に攻め込まれ、楚は首都を移す事態に追い込まれた、と。

史実として屈原とユエさんの関わりがどうだったか知りませんが、羋がユエさんの姓であり、楚の国王の姓でもあるなら、ユエさんは楚の王族の1人ではあったでしょうから、なんらかの関わりはあったはずです。

嫁いだ国が自分の祖国を攻めるって、どんな感じなんですかね・・・